聖公会 古代ローマ帝国が東西に分裂してしまったことがキリスト教にとっての大きな問題の始まりだ。既にイエス・キリストが処刑されてから360年程立っている頃ローマ皇帝コンスタンティヌス帝がローマの首都をローマから移動させ現在のトルコのイスタンブールに自分の名前が付いた町「コンスタンティノープル」を作った。 その少し後にローマ帝国は東西に分裂し(395年)、更に476年にゲルマン民族の大移動によ … 内村鑑三によって提唱された無教会主義は、厳密に言えばプロテスタントに分類されないが、多くの点でその後のプロテスタント神学に影響を与えた日本独特のキリスト教信仰のスタンスである。 無教会主義集会; 原始福音キリストの幕屋 所属教会は”ひばりが丘バイブルチャーチ”です。 皆さんは、"マリア"と聞いて誰を思い浮かべますか? また、新たな正統の基準を確立したプロテスタント諸教会は、その公的な信仰の基準に反するものを異端視した。[7][8], 教義の中心である使徒信条は、母体となったカトリック教会とほぼ同じに設定されている。それに加えて独自の原則として三大原理[9]も設定されている。 こちらは、カトリックや正教よりも、もっと後に出てきた教派です。大体16世紀頃。 キリスト教の成立が1世紀なので、比較的むちゃくちゃ新しい教派ですね! 「プロテスタント」という言葉は、「抗議する人」という意味です。一体何に抗議するのでしょうか? ・カトリックとプロテスタントの違い 3. アインシュタイン?レオナルド... ジーザス、エブリワン!キートンです。 福音主義 根本主義 福音派, プロテスタントは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に(広義の)福音主義を理念とするキリスト教諸教派を指す。日本ではカトリック教会(旧教[1])に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。この諸教派はナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教[2][3]である。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる[3]。「父なる神」[4]と「その子キリスト」[5]と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。, プロテスタントという総称は、その担い手達がカトリック教会に抗議(ラテン語: prōtestārī, プローテスターリー)したことに由来する[6]。「プロテスタント」は諸教派の総体であって、プロテスタント全体を統括するような教団連合組織は存在していない。中世における諸教派の形成時、国教化されたカトリック教会は宗教の自由を認めなかったため、教皇中心主義に反して内部分裂したプロテスタント諸教派に対しても、異端としての対応を取ることとなった。そのため、多くの教派は、カトリック教会の対応に対して抗争や戦争の手段を用いて、新たな体制的教会を構築した。 その長い歴史の中で、現在では宗派も数多く分かれていますが、大きな宗派の流れとしてはまず9世紀に教会が東西2つの教会に分裂したところから始まります。 古代ローマ帝国が東西に分裂してしまったことがキリスト教にとっての大きな問題の始まりだ。既にイエス・キリストが処刑されてから360年程立っている頃ローマ皇帝コンスタンティヌス帝がローマの首都をローマから移動させ現在のトルコのイスタンブールに自分の名前が付いた町「コンスタンティノープル」を作った。 その少し後にローマ帝国は東西に分裂し(395年)、更に476年にゲルマン民族の大移動によ … 一般に葬儀葬式といわれますが、キリスト教会の葬式では宗教儀礼として行われることから「葬儀式」と言います。キリスト教には、もともと通夜の習慣はありませんが、日本独自の風習を取り入れ、通夜のことをプロテスタントでは「前夜祭」カトリックでは「通夜の祈り」という式をおこないます。ただし、宗教の礼儀・左方として行うため仏式のような食事やお酒を振る舞う習慣はありません。 葬儀はおもに神父または牧師が教会で行われますが、自宅や葬儀場、斎場でも行われています。 葬儀におけ … 西欧のキリスト教においては、カトリックとプロテスタントに分かれている、もっと正確には、プロテスタントはカトリックから分離したことは、知っている方は多いと思います。今回は、これまでのキリスト教関連の投稿の継続として、プロテスタント教会についてまとめました。 ―――ー � プロテスタントはカトリックから派生した宗派. 紀元前6年ないし紀元前4年ごろナザレのイエスがベツレヘムに生まれる。; ナザレのイエスが刑死する3年ほど前、ナザレのイエスはガリラヤで宣教を開始する。 3 クリスチャン(カトリックやプロテスタント等の新興宗教ではないキリスト教徒)の方々は、毎週日曜日に教会 4 キリスト教は沢山宗派がありますね。それで、特にキリスト教のプロテスタントの方やカトリックの方はみなさ キリスト教徒数多い国をランキング形式で10位まで紹介しています。キリスト教の人口やカトリック/プロテスタントの割合や違いについてもまとめていますので参考にして下さい。 今回は、キリスト教三大宗派の1つ、"正教会"についてご紹介したいと思います。 クリスチャンとプロテスタントの違いは何ですか?ネットで調べても出てこなくて困っております。誰か教えてください!クリスチャンはいわゆるキリスト教徒の事です。その下に大きくプロテスタントとカトリックが分かれています。仏教でも Protestantism is a new denomination which a Catholic Martin Luther, who became critical of the Catholic Church, established as a leader. ちなみに世界のキリスト教徒を教派で分けると「カトリック53%」「プロテスタント33%」「東方正教会9%」「その他5%」ということで、メジャー3教派でほとんどを占めていることになります。 再洗礼派 ルター派 カルヴァン主義 そう、パラダイスってやつです。... ジーザス、エブリワン!キートンです。 q1 仏教には宗派がありますが、キリスト教にもあるのですか。 a 一般的にキリスト教の三大宗派といわれるのは、西方教会(ローマ・カトリック)、プロテスタント教会、東方教会(オーソドックス)です。歴史の中でこの三つの宗派に分かれました。 今回は、キリスト教の3大宗派(カトリック、プロテスタント、正教会)の1つ、"ローマ・カトリック教会"... ジーザスエブリワン!キートンです。 韓国プロテスタントの最初の宣教師は、中国の上海において宣教活動を行い、1884 年に韓国に 派遣された宣教師アレン(H. マリア・シャラポア?竹内マ... ジーザス、エブリワン!キートンです。 といった"愛やゆるし"の教えが象徴的な宗... ジーザス、エブリワン!キートンです。 バプテスト メソジスト ホーリネス キリスト教としばしば比較される、ユダヤ教とイスラム教。 日本には1.1%しかキリスト教徒がいないので、よく解らない人が殆どの宗派について解説します。 ローマン・カトリック プロテスタント 聖公会 (アングリカン・チャーチ) ←私 日本は大きく分けるとこんな感じですが、この「プロテスタント」っていう括りが多分わかりにくいと思うんですよね。 キリスト教徒数多い国をランキング形式で10位まで紹介しています。キリスト教の人口やカトリック/プロテスタントの割合や違いについてもまとめていますので参考にして下さい。 ・キリスト教徒でなくても式を挙げられる? 4. キリスト教で有名な宗派といえばカトリックとプロテスタントです。 この2つの宗派は個々の教派、教団によって日々の生活の過ごし方なども異なりますが、イエス・キリストや聖書などの存在を信仰しているという点では一致しています。 ・町の教会を … キリスト教とは。カトリックやプロテスタントなど有名宗派の教えやルールを簡単に解説. カトリックとプロテスタントの違い カトリックとプロテスタント分裂の理由は? 実は共通点も多い?日本にも身近なもの? 日本はあまり宗教性の強い国ではないので、実感がありませんが世界においては、宗教や思想の違いがたくさんあり […] 世界の大多数の人々が信仰するキリスト教には、カトリックとプロテスタントの二つの宗派が存在します。仏教が主な宗教である日本では、あまり馴染みが無く違いがよくわからない人も多いでしょう。今回は、そんなカトリックとプロテスタントの違いについてご紹介します。 キリスト教にとっては重... ジーザス、エブリワン!キートンです。 信仰生活28年のプロテスタントクリスチャンで、愛称は"キートン"(本名:辻 勇輝)。 キリスト教にはさまざまな考え方や派があります。 今回はキリスト教原理主義や福音派とは何かをわかりやすく解説するとともに、 ユダヤ教やプロテスタントとの違いや関係についても整理して紹介してい … ジーザス、エブリワン!キートンです。 僕が所属... 【最強の書物】キリスト教の"聖書"ってどんな本?未だに売れ続ける永遠のベストセラー!?. さて、今回は、クリスチャンの代表的アイテム"聖書"についてお話したいと思います。 カトリックとプロテスタントの違いをみる前に、キリスト教の歴史についてみてみましょう。 キリスト教は今から2000年ほど前に誕生しました。 今回は、キリスト教3大行事の1つである"ペンテコステ"についてお話したいと思います。... ジーザス、エブリワン!キートンです。 キリスト教諸教派の一覧(キリストきょうしょきょうはのいちらん)は、キリスト教の諸教派(宗派)を歴史的教義的に関係するものをまとめて一覧する。. 自由主義 新正統主義 社会派 しかし、キリスト教と一言に言っても、いくつかの宗派に分かれているって知っていますか?, 神父さんがいて教会が豪勢でステンドグラスがあってマリア様を信仰して伝統的な聖歌を歌っていると思ったら大間違いなのです!!(怒り), キリスト教は大きく分けると、3つの宗派に分かれますので、それらを中心にまとめます。, 細かく見れば他にもいくつかの宗派がありますが、この3つの宗派だけでキリスト教全体の8割以上を占めます。, ですから、これらの宗派を押さえておけば、キリスト教のほとんどを網羅したようなもの。, そのせいか、冒頭で述べたような一般的なキリスト教イメージのほとんどは、このカトリックによるものだったりします。, プロテスタントは、ルターによる宗教改革によってカトリックから分裂して生まれた宗派で、世界に4億人以上の信徒がいます。, プロテスタントはさらに様々な教派に分かれており、もはや僕も把握しきれません。(てか、把握してる人いるの?), 正教会は、”ギリシア正教”、”東方正教会”とも呼ばれ、カトリックと並んで長い伝統のある宗派です。, 三大宗派の中では最も信徒数が少ないですが、それでも世界に2億人以上の信徒がいます。, 正教会には、様々な儀式があったり、教会に”イコン”と呼ばれる聖画像があるなど、独特の世界観がありますね。, といった教会は、かつて異端とされて正教会から分派し、上記の正統な正教会とは別物なのでご注意を。, 各宗派の詳しいことはそれぞれの個別記事に飛んでいただきたいですが、それだけでは味気ないので、, こうして見ると、やはり元々同じ宗派だっただけあってカトリックと正教会は共通点が多いですね。, カトリックと正教会は、イエス・キリストが昇天された後の1世紀頃に教会が建てられたと言われていますが、正確な時期は分かりません。, 「五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」, これは、イエスキリストの昇天後、弟子たちの上に聖霊が降ったという出来事のことです。, その後、弟子たちが世界中にキリスト教を伝え教会が生まれたので、ペンテコステの日は“教会の誕生日”と言われています。, この頃のカトリックは、買えば罪が赦されるという免罪符を売りまくるなど堕落し切っていました。, そこでルターはカトリックに反発する形で宗教改革を起こし、プロテスタントを成立させたんですね。, それでも現在までかなりの勢いで信徒を増やしており、新進気鋭のエースといったところでしょうか!, 教会の外観は宗派によって明らかな差があり、カトリックと正教会は豪華でプロテスタントは質素です。, もちろん、教会の外観を重視していないだけで、プロテスタントにおいても教会という存在は重要ですけどね!, こちらも考え方の違いで数が異なり、救いの条件にも含むほどサクラメントを重視しているカトリックと正教会は7つですが、, 聖書に書かれていることしか信じず、サクラメントが救いの条件にもなっていないプロテスタントは2つしかありません。, ただし、正教会は一応サクラメントを7つとしているものの、実際はもっとあると考えているようです。, それに神以外の者を信仰するのはどうかということで、聖人信仰に対する非難の声も上がっているようです。, まあ、カトリックや正教会はあくまでも崇拝ではなく崇敬だと主張しているようですが。。, 聖書の正典のみを信仰するプロテスタントに対して、カトリックと正教会には正典以外に外典というものが存在します。, ただし、この外典というのはあくまでもプロテスタントから見たもので、彼らからすると正典に含まれているという扱いになります。, とはいえ、カトリックと正教会にも違いはあり、正教会は各教会に運営を任せる監督制になっています。, 一方で、プロテスタントには統一の組織が存在せず、位階制度のような上下関係もありません。, 結婚式のイメージのせいか、教会=神父と思っている方もいるかもしれませんが、これは間違い!, では、そもそも牧師とか神父ってどういう立場の人なのかというと、簡単に言えば教会の人々を導く先生のような存在ですね。, サッカー選手がゴールを決めたときにやったりすることもあり、ちょっとカッコイイですよね?, これは主に信仰の表明として行われるものですが、実はカトリックと正教会でも十字の切り方が違います。, 厳密に言えば、十字を切るときの指の形も違うようですがとりあえずここだけ押さえておけばいいでしょう。, 「マリアといえば聖母!」というイメージがあるかもしれませんが、この呼び方をするのは基本的にカトリックのみ。, 正教会はマリアを“生神女(しょうしんじょ)”として崇敬し、プロテスタントに至っては崇敬そのものをしません。, つまり、プロテスタントにとってはマリアはイエス・キリストの母親に過ぎず、特別視していないということです。, カトリックの教会にはマリア像が置いてあったりして、その尊敬され具合がよく分かります。, 修道士(ブラザー)や修道女(シスター)が住み込むことでおなじみの、修道院やその組織である修道会。, これらは、カトリックや正教会にはありますが、プロテスタントには基本的にありません。, ブラザーやシスターは、修道院に住み込むことで俗世間から離れて、神様に全てを捧げる生活を送ります。, カトリックや正教会は、”イエス・キリストへの信仰+サクラメント”などの行為によって救われて天国に行けると説きます。, 一方で、プロテスタントはイエス・キリストへの信仰さえあれば救われるという、“信仰義認”を唱えています。, ですから、プロテスタントでも洗礼や聖餐といったサクラメントがありますが、これらを救いの条件とはしていないのです。, もちろん、プロテスタントにもサクラメントはあるので、重要なのは間違いないんですけどね!, それぞれに違いがあるとはいえ、カトリックも正教会もプロテスタントも同じキリスト教の信仰者。, 元々は、ドイツ内のカトリックとプロテスタントの争いだったのですが、その内様々な国が介入するようになり、, 結果的に、ドイツの人口は三分の一減少し、全体でも800万人以上の死者を出してしまいました。, キリスト教と一言に言っても、色んな宗派がありそれぞれ特徴が違うんだよってことがお分かりいただけましたか?, 今回はとりあえず、キリスト教の中でも色んな違いがあるんだなと思ってもらえれば最悪オッケーです!, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, 月間5万PVを達成! キリスト教とは、ナザレのイエスを「キリスト(救世主)」とし、イエスは十字架に架けられた後に復活したと信じ … 異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として受け止めることを前提として、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立していること、ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立していること等が規定されている。, 1517年以降、マルティン・ルターらによりカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起こされた。, 1524年、ドイツ農民の不満を背景に、急進派トマス・ミュンツァー率いる武装農民が蜂起し、これに対してルター派の諸侯らが激しく衝突、多くの犠牲が生じたいわゆるドイツ農民戦争が勃発した。1529年にルター派の諸侯や都市が神聖ローマ帝国皇帝カール5世に対して宗教改革を求める「抗議書(Protestatio, プロテスタティオ)」を送った。そのためこの派は「抗議者(プロテスタント)」と呼ばれるようになった。, ルターらは洗礼と聖餐以外の教会の諸秘跡を排し、聖書に立ち返る福音主義を唱え始め、また西方教会では、それまでほとんどラテン語でのみ行われていた典礼や聖書をドイツ語化するなど、著しい改革を行った。このため次第にルター派は北ドイツからドイツ全体へ広まり、その信者は増加していった。ルターは信仰義認という教理を提唱した者としてよく知られている。ルター派の特に信仰義認は、カトリック教会のトリエント公会議などにより排斥された。その結果として別個の教派を築くこととなった。, 宗教抗争は政治権力抗争とも絡み、ドイツ地域の内乱状態は30年間続いた。内乱終結のアウクスブルクの和議(1555年)により、プロテスタントもカトリック教会と同様に信教の自由の地位を保証されることとなる。ルター派は北方に広まり、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーで国教となった。, ドイツ改革とほぼ同時期に、スイスでも宗教改革運動が起こった。カトリック司祭のフルドリッヒ・ツヴィングリは「聖書のみ」、「信仰のみ」という教理を展開し、彼の弟子たちから幼児洗礼を否定し再洗礼を認めるアナバプテスト派が生じ、後に改革派教会からも排斥されることになる(ウェストミンスター教会会議)。また、ツヴィングリは、聖餐論においてルター派と対立することになる。, 内乱状態の後を受けて、ジャン・カルヴァンが登場し、彼はツヴィングリを受け継いでスイスにおける宗教改革の指導者となる。カルヴァンは新しい教会の組織制度として長老制を提唱した。大陸におけるカルヴァン派の教会が改革派教会と呼ばれ、ジョン・ノックスのスコットランドを経由した英国系のカルヴァン派の教会が長老派教会(その後アメリカへと進出)と呼ばれる。カルヴァンは二重予定説を提唱し、カルヴァン派で受け継がれ、カルヴァン主義とも呼ばれる。予定説も、ルター派と同じくトリエント公会議で排斥の対象となる。カルヴァン派は、混乱から社会を救うため、宗教と政治、教会と国家を明確に機能区分することを提唱する。また一般市民の信仰生活に対して、世俗職業を天職(神の召命)とみなして励むこと、生活は質素で禁欲的であること等を説き、これが勃興期の資本主義の精神と適合したといわれる。カルヴァン主義は、西方のフランス・オランダ・イギリス・アメリカへ広がった。後に、オランダ改革派から、このカルヴァン主義からの思想が非聖書的であると唱え、カルヴァン主義の予定説に反対し、ヤーコブス・アルミニウスとその後継者によってレモンストラント派(アルミニウス派)が現れる。1610年、改革派はドルト会議にて、アルミニウス派を異端として排斥する。このアルミニウス派の思想は、後にメノナイト派、ジェネラル・バプテスト派(普遍救済主義のバプテスト)、メソジストのウェスレー派などに継承されることになる。なお現在、各教団の神学の基本思想としてカルヴァンかアルミニウスかの2極に分かれる傾向がある。, 16世紀末頃、英国国教会の内部において、ピューリタンと呼ばれる改革派教会の方向へ改革を求める人々が現れた。イングランドのカルヴァン主義は、ジョン・ノックスのスコットランドの影響を受けていたが、更にこの改革運動を急進的にし、国教会から非合法に教会を建てようとする者らが現れた。彼らは分離派と呼ばれる。ピューリタンおよび分離派は、国教会の特に監督制に反対し会衆制を主張した。分離派は、国教会から分離せずに内部から教会改革を志すピューリタンに対しても、偽りの教会に属するとして相互聖餐を拒否していた。英国の分離派の思想は、ロバート・ブラウン(Robert Browne) に始まったとされる。これがやがて、ジェネラル・バプテスト派の母教会の牧師ジョン・スマイス(John Smyth) に受け継がれる。スマイスはジェネラル・バプテスト派の創始者トマス・ヘルウィス (Thomas Helwys) に恩師として影響を与えた。ただし、当時ウォーターランド派メノナイトとの合併を考えていたスマイスが、ヘルウィスに対して具体的にどれだけの影響を与えたかは、教理史的議論の決着がなされていない。またパテキュラー・バプテスト派は、元英国国教会司祭であったヘンリー・ジェイコブ牧師により発足した非分離派会衆主義教会から、より分離派的教会を求めて離脱した者ら数十名が、再洗礼を行って教会を新設したことにはじまったとされる。, 18世紀、英国のオックスフォード大学内でジョン・ウェスレー、ジョージ・ホウィットフィールドが指導するグループから始まった運動が、英国全土にメソジストという名で広がるようになった。そして、この運動はアメリカに渡り第一次大覚醒に至ったが、独立戦争が始まる際に一部英国に帰国することとなった。1784年アメリカに残ったメソジスト宣教師らを監督教会として認める25箇条のメソジスト憲章が定められる。1845年、米国のパティキュラー・バプテスト派は、奴隷問題と国外伝道政策に関する見解の相違で北部バプテスト同盟(現在の米国バプテスト同盟)と南部バプテスト連盟とに分裂する。この頃、米国メソジスト教会にも同様の分裂が起こるが、やがて分裂は終結する。19世紀後期のアメリカのメソジスト系統からホーリネス派が起こり、これを基盤にペンテコステ派が起こる。さらにペンテコステ派によるペンテコステ運動は他教派におよび、聖霊派として知られている。また、カリスマ派はペンテコステ派から起こるが、WCCに加盟したことにより、エキュメニズムに反対するペンテコステ派から排斥される。, 同じく18世紀、アメリカで再臨運動が起こり、この運動に参加する信徒は再臨派(アドベンティスト派)と呼ばれた。, 19世紀に入り再臨運動がさらに活発化すると幾つもの再臨派系教派がここから分裂、組織化した。その中でもエレン.G.ホワイトらが活発に活動し、日曜ではなく、イエスが当時守っていた日が土曜日であった事実と、旧約律法通りでもある土曜を礼拝日とするSDA(セブンスデー・アドベンチスト教会)が出現した(この教会は、宗教分類学的にはキリスト教系の新宗教に分類される[10][11][12])。, フリードリヒ・シュライエルマッハーから始まる近代神学、自由主義神学、聖書高等批評学のプロテスタント教会への浸透に対抗して、英国の福音主義同盟は1846年、9カ条からなる福音主義信仰の基準を告白した。また20世紀初頭に英米においてキリスト教根本主義運動が起こった。20世紀半ばの1948年に自由主義プロテスタントとローマ・カトリックを中心としたエキュメニカル運動の組織世界教会協議会が成立したが、それに対して福音主義同盟を創立会員として1951年に世界福音同盟が結成された。第二次大戦後に台頭した福音派はエキュメニカル運動に対し、1974年、ローザンヌ世界伝道会議を開催し、ローザンヌ誓約が発表された。また福音派は新福音主義とも呼ばれ、福音伝道と宗教改革の福音主義を強調する。福音派は個人の伝道活動の実践、ビリー・グラハムの大規模な伝道活動などにより教勢を拡大し、学的にもウェストミンスター神学校、フラー神学大学、ホィートン・カレッジ、クリスチャニティ・トゥディなどにより大きな影響力を与えるようになった[13][14][15]。, プロテスタントには、母体となったカトリック教会から分派したという経緯があるため、使徒信条等の信仰・教義に関する部分はほとんど変わらない教派となっている。, 聖書が神の言葉として成立した経緯については旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照, 2013年現在、世界に約23億人のキリスト教の信者がいてプロテスタント諸派の信者は約5億人。[42], キリスト教徒が人口の過半数を占める国で、プロテスタントが他のキリスト教諸宗派より多い国は、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、アイスランド、エストニア、イギリス、ケニア、ガーナ、ナイジェリア、リベリア、シエラレオネ、マラウイ、コンゴ共和国、ザンビア、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、エスワティニ、南アフリカ共和国、オーストラリア、ニュージーランド、パプアニューギニア、フィジー、トンガ、ソロモン諸島、バヌアツ、アメリカ合衆国、ジャマイカなどとなっている。ただし、宗教改革発祥の地であるドイツはカトリックとほぼ拮抗した状況となっている[43]。中国は人口に占めるキリスト教徒の割合は5%程度だが、絶対数で見れば多く、そのうちプロテスタントが8割以上を占める。キリスト教徒人口の割合が3割と、アジアの中では比較的高い韓国は、うち6割以上がプロテスタントとなっている。日本のキリスト教徒は、半数近くの約90万人がプロテスタントとされている[43]。, 多くの教派で共有できる教義として、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条などがあげられる。, 各教派の指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。[46], プロテスタントは福音派とエキュメニカル派に二分されている[47][48][49][50][51]。, 自由主義神学に立つ教派・グループなど、リベラル派においては、何かを異端とみなすこと自身が不寛容であり、キリスト教に異端はいないとする思想もある。, 「異端」を定義する基準は、多くの教派で共有できる、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条など基本信条からの逸脱である。, 「プロテスタント」は諸教派の総体であって、プロテスタント全体の代表者や指導者のような存在(カトリック教会における教皇や正教会における総主教)や、プロテスタント全体を統括するような教団連合組織はない[53]。また、各教派の成立自体も初代統一プロテスタントからの分離・離脱から生じ、複数に別れたといったものではなく、最初期のプロテスタントであるアナバプテスト、ルター派、カルヴァン派、ツヴィングリ派などは互いの影響は受けつつも、それぞれ全く別個に成立したもので、最初から統一されたプロテスタントは存在しなかった。それ故、前出の聖公会などをはじめ、「プロテスタントなのか、そうでないのか」が曖昧で線引きの難しい教派・教団が生まれる結果にもなっている。それぞれの成立については本項の系統の節を参照。, 「プロテスタント」の語は66巻の聖書を共有するキリスト教について使われており、同じ正典を用いる人々の分派を教派(ディノミネーション)とし、違う正典[54]を用いる分派は宗派[55](セクト)として区別されることがある[56]。, また、ルーテル教会には修道院制度が僅かながら存在するが、他のプロテスタント諸派には修道院制度が存在しないなど、プロテスタント諸派の間には小さくない差異がある。[57], プロテスタントは同じ教派でも宗教法人としての教団は更に分かれていることも多い。例えば、同じルーテル教会としての教派と自己規定していても、「○○ルーテル教団」「△△ルーテル〜教会」「○○ルター派××教団」といった法人が分かれているケースもあり、さらに法人が別なだけでなく交流すらないケースもある。これは移民や宣教によって成立母体が異なる場合や、教義の解釈によって分裂が起こることに起因する。逆のパターンとしては日本基督教団などのように、異なる教派同士が一つの超教派教団[58]に所属している場合もある。, カトリック教会はそれに属するすべての教会が中央であるローマ教皇庁(バチカン)に結び付いている。正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・奉神礼を共有し、相互にフル・コミュニオン関係を維持する連合体として存在しており、イスタンブールのコンスタンディヌーポリ総主教庁を全地総主教庁と呼ぶなど、名誉的にではあるが全正教会の筆頭・総本山的扱いとしている[59]。そういった意味では、カトリックや正教会と同じような意味・用法での「プロテスタント」という名の教派は存在しないのである。, Cuius regio, eius religio(領主の信仰が、汝の信仰)の原理は、欧州の外では通用せず、アジア地域などにおいて敬虔主義が伝道の原動力になった[60]。国教会から独立した教会は自由教会(フリーチャーチ)と呼ばれている[61][62][63]。, 複数のプロテスタント教派が共同で合同教会を作る動きが特に20世紀になって盛んになっている。 [64] [65] カナダ合同教会、 北インド教会(Church of North India)、南インド教会(Church of South India)、中国基督教協会などである。, プロテスタントは主にカトリック教会から分離した教派、さらにそこから分離した教派を指す。正教会をはじめとした東方教会から分離した教派を指すことはない(古儀式派などはプロテスタントとは呼ばれない)。, 聖公会(英国国教会)は、カトリック教会から分かれてプロテスタントの教義から影響を受ける一方で、カトリック教会の信条・聖職制度・典礼等を引き継いでいるという経緯がある。そのため、聖公会をプロテスタントに分類する見解もあり、聖公会も自身を「宗教改革の結果生まれた教会としては、プロテスタントに属している」と規定している。一方で、カトリックの伝統も受け継いでいることから「中道の教会」「橋渡しの教会」とも位置づけている[66]。英国王室では、王位継承者でプロテスタント信仰を持っている者、正教の信仰を持っている者は王位継承後、スコットランド国教会にも帰属しなければならないとしており、この場合聖公会はプロテスタントに含まれると考えられる。, カトリックから分離した教派であっても、上述のようにプロテスタントと自認している聖公会をそのように呼ぶか否かは、各教団・信徒個人で意見が分かれる。また同じくカトリックから分離した教派である復古カトリック教会は、プロテスタントを自認する聖公会とはフル・コミュニオンの関係にありながら、カトリックを自称しておりプロテスタントには含まれないとされる。このように、プロテスタントなのかそれ以外なのか線引きの難しい教派や教団も見られる。, 非常に稀な例ではあるが、プロテスタントの流れでありながら正教会の奉神礼を採用しているエヴァンジェリカル・オーソドックス教会という教派も存在する。これは元々福音派系プロテスタントであった教派が結果的に正教会の奉神礼を採用したのであり、源流は正教会ではなくカトリック分離組の流れ(福音派経由)のプロテスタントである。なお、この教派の多くの教会は最終的にどこかしらの地域の正教会に合流しており、独自のプロテスタント教派としては現在では数を減らしている。, 社会学などで研究、議論の対象となるヨーロッパの近代化は、特にその初期において、プロテスタント革命によって強力な後押しを得たものだとする見解がある。, その最も有名な説はマックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』に展開されたもので、清教徒など禁欲主義的なピューリタニズムが支配的な国家において、労働者が合理的に効率性、生産性向上を追求する傾向を持っていたことが指摘されている。ヴェーバーによれば、プロテスタントの教義上、すなわち自らに与えられた職業を天職と捉えるルターの思想と、それに加えてカルヴァンによる予定の教理(二重予定説)によって、貧困は神による永遠の滅びの予兆である反面、現世における成功は神の加護の証であるとされたことから、プロテスタント信者、特に禁欲的ピューリタニストは、自分が滅びに定められたかも知れないという怖れから逃れるために、自らの仕事に一心不乱に(ヴェーバーはここで「痙攣しながら」というドイツ語を用いている[67])打ち込むことで、自分が神に救われる者のひとりである証を確認しようとしたという心理があるという。なお、社会心理学者のエーリヒ・フロムも、『自由からの逃走』の第3章「宗教改革時代の自由」において、ウェーバーの説を援用しながら、そのような心理が権威主義的なものであることを分析し、ファシズムと同様の権威主義的な要素が古プロテスタンティズムに既に内包されていたとする見解を示している。, また、ダニエル・ベルは『資本主義の文化矛盾』で、このような合理主義の精神が、芸術におけるモダニズムの運動と共に、近代社会のあり方を規定した主要因であったとする。また、1960年代以降、消費社会と結びついたモダニズムの影響力が拡大し、プロテスタンティズムに由来する近代の合理主義を脅かしているとも診断する。, プロテスタントと近代の関わりについてはもうひとつ、異なる側面を扱った説があり、やはり広く知られている。教会に赴いて他の教徒と一緒に説教を聞いたり、賛美歌を歌うことによって信仰を実践していたカトリックに対して、プロテスタントは当初、個々人が聖書を読むことを重視した。集団で行う儀式に比べて読書は個人中心の行動であるため、一部の論者はこれを近代社会に特有な個人主義と結び付けて考える[68]。, ・1525年ドイツ農民戦争では、ルターの勧告に従った諸侯たちが農民を鎮圧し、10万人の農民が殺された。この詳細についてはドイツ農民戦争を参照。, ・ 1562年ユグノー戦争は、フランスのカトリックとプロテスタントが40年近くにわたり戦った内戦である。この詳細についてはユグノー戦争を参照。, ・ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への入植。この詳細についてはイギリスによるアメリカ大陸の植民地化、および、フランスによるアメリカ大陸の植民地化を参照。, ・ドイツ三十年戦争。ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発した。この詳細については三十年戦争を参照。, ・インディアン戦争。アメリカ合衆国における白人入植者によるインディアンの征服戦争の総称。この詳細についてはインディアン戦争を参照。, ・フィリップ王戦争。1675年6月から翌年8月まで、ニューイングランドで白人入植者とインディアン諸部族との間で起きた戦争。[69]この詳細についてはフィリップ王戦争を参照。, 旧約聖書 - 新約聖書(聖書の登場人物の一覧 - 聖書に登場する地名一覧)- 聖書正典 - 外典, 東方教会(正教会 - 東方諸教会)、西方教会(カトリック - 聖公会 - プロテスタント - アナバプテスト)、その他(キリスト教系新宗教), 聖職(司祭 - 神父 - 修道士)、正教会(神品 - 教衆)、カトリック(教皇 - 枢機卿 - 司教)、プロテスタントの教職者(牧師 - 伝道者 - 宣教師), 主日 - 復活祭/復活大祭 - ペンテコステ - クリスマス - ミサ/聖体礼儀 - イコン - 聖歌/賛美歌 - 音楽 - 礼拝・典礼・奉神礼 - 年中行事, 洗礼 - 聖体 - 聖餐 - 堅信/傅膏 - 告解/痛悔 - 叙階/神品 - 病者の塗油/聖傅 - 婚姻/婚配, 聖伝 - 通史 - 年表 - 原始キリスト教 - 初期キリスト教 - 初代教会 - 古代末期のキリスト教 - 中世ヨーロッパにおける教会と国家 - 教皇領 - 東西教会の分裂 - 叙任権闘争 - 教会改革 - 宗教改革 - ヨーロッパにおける政教分離の歴史 - アメリカ合衆国における政教分離の歴史 - 政教分離, ただしカトリック教会自身は「旧教」を自称したことはなく、カトリック教会ではまったく使われない呼称である。, こうした分派発足のいきさつがあるため、ナザレのイエスの説いた普遍的な教条の表明と、抗争や戦争の指針とを共存しうる教派も生まれた。, 諸教派の間ではニカイア信条の使用に差異があるが、それを使用している教派においては、ナザレのイエスが処女より生まれたという教義を信じている。, しかし、異端排斥に特化した歴史があるためか、教義の面から見ると差異はほとんどないと言ってよく、他宗教から見ると詳細すぎて理解ができない部分があると言える。, これ以降ピューリタンと先住民は全面的に対立するようになる。岩波キリスト教辞典P1035, https://global.britannica.com/biography/Jesus, https://web.archive.org/web/20131101114257/http://www.pewforum.org/files/2011/12/Christianity-fullreport-web.pdf, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=プロテスタント&oldid=80361804, 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した, 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した, パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる, 95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される, 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。, ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。, ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。, すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。, 『個人主義論考 近代イデオロギーについての人類学的展望』 ルイ・デュモン著 渡辺公三・浅野房一訳.